Home
一等三角点 友ヶ島 (コウノ巣山)
 三角点を訪ね回って1年10ヵ月、333個目、スリースリーの三角点は、一等三角点しかもきれいな三角点を見たく、和歌山と淡路島の間、紀淡海峡に浮かぶ友ヶ島にやってきた。 友ヶ島は、無人の小さな島で、かつて軍の要塞地だったこともあり、手つかずの自然が今でも残されいる。 野生のシカやリスがいたり、砲台跡や兵器庫、兵舎跡などが残っているから島内には見るべきスポットが多い。 ハイキングコースやキャンプ場の整備もされており、釣り客とともにこの島を訪れる人は多い。
基準点コード TR15135303001
点名 友ヶ島 (ともがしま)
種別等級 一等三角点
標識番号
標高 119.90m
設置日 1998年(平成10年)11月21日 更新
展望
地形図 和歌山−和歌山−加太
所在地  和歌山県和歌山市加太字苔ケ沖島2673-1
地図・軌跡 GoogleMap & RouteMap
探訪日 2008年10月18日
三角点へのルート
 友ノ島、地島、虎島、神島を総称して友ヶ島と呼ぶ。三角点は友ノ島の最高標高部のコウノ巣山にある。


三角点の周辺
(09:00) 加太港発の1番船に乗船
連絡船「ともがしま」号は小さく見えるが定員120名の表示があった。
(09:10) 加太港からは友ヶ島東端の虎島と地島の間を通って、写真向こう側にある 野奈浦桟橋へ向う。 (09:20) 20名ほどの釣り客、観光客とともに野奈浦桟橋に到着、いよいよ友ヶ島上陸
(09:21) 上陸後すぐの案内板
ハイキングコースの案内もある
(09:22) 桟橋前の観光旅館「友ヶ荘」 (09:34) 観光旅館「富士屋別館」
閉館中のようだ雨戸が閉まっていた
(09:39) 第2砲台跡。 友ヶ島砲台群は第1から第5の砲台跡、そして虎島砲台跡、合計6ヵ所の砲台跡ある。明治20年代の最先端技術を結集し建設された。周辺の深山、加太砲台とともに由良要塞を構成している。日清戦争以前の明治期日本の四砲台(東京・対馬・下関。由良)の一つである。 ここ第2砲台跡は唯一海岸に設置された砲台跡であり、波で壊されたのが砲台の基礎が崩れていた
(09:47) 友ヶ島灯台。 明治3年4月に英国人リチャード・ヘンリー・プラントンにより着工され、明治5年6月に竣工点灯されたが、砲台築造のため明治23年東側に移築された。石造りの建物は明治の洋風建築として日本では数少ないものだそうだ。
(09:53) 灯台の南西側にあった監視所跡。 第1砲台跡とは半地下道で結ばれていた。
(10:05) 幸助松。 幸助松という松を探したが見つからなかった。単なる地名だろうか?
(10:20) 海軍聴音所跡。 聴音所は、敵の潜水艦が侵入してくるのをいち早く察知するため、海中の音を聞き分ける施設だそうだ。 ここでじっと息を殺して紀淡海峡の音をひたすら聴いていたのかと考えてしまう。
(10:36) コウノ巣山に向う途中の小展望台。 野奈浦桟橋を望む。 (10:42) コウノ巣展望台。 コウノ巣山の山頂広場だ。 木立の間から西側を望むと友ヶ島灯台、友ヶ島水道の向うに淡路島由良町がある。
(11:10) 第3砲台跡。 コウノ巣山展望台のすぐ東側にある最も高い位置で最も大きな砲台跡だ。
案内板の内容:着工:明治23年10月、竣工:明治25年5月、備砲:28センチ榴弾砲8門、主線:南西35度
写真は、左から砲座跡、弾薬庫跡、砲座と弾薬庫を結ぶ地下通路
(11:33) 南垂水キャンプ場 (11:37) 遊歩道から神島を望む (11:48) 沖ノ島の尾根を通る遊歩道
(11:57) 三等三角点「亀ヶ崎」
友ヶ島にあるもう一つの三角点だ
(12:18) 沖ノ島東端から関空方向を望む。小さな漁船がたくさん浮かんでいた (12:22) 沖ノ島から虎島へはここを渡る。滑りそうで結構こわい
(12:30) 虎島砲台跡。 友ヶ島の4砲台が島の西側に集まっているので淡路島との間にある友ヶ島水道を警戒し、この虎島砲台が加太砲台と連携して東側の海を警戒しているのだろう。
(12:44) 虎島側から沖ノ島へ<BR>立派な遊歩道があったようだが完全に破壊されていた。 (13:05) 深蛇池。 一面が枯れススキに覆われた沼地だ。 このススキ、僕の背より高いので深蛇池がどんな形をしているのがまったく判らない、困った観光スポットだった。
(13:12) 第4砲台跡。 友ヶ島のほぼ真ん中に設置された第4砲台。 第3砲台跡と同じようにレンガ造りの弾薬庫跡が並び、将校宿舎跡も残っていた。
(13:24) 野奈浦桟橋。走って走ってなんとか13:30発の連絡船に間に合った  (13:50) 加太港に帰港 加太から見た友ヶ島

Home   地域Top   分布図